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横浜地方裁判所 平成8年(ワ)610号 判決 1996年12月20日

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

理由

【事実及び理由】

第一  請求

被告は、原告に対し、九五万円を支払え。

第二  事案の概要

一  本件は、原告が被告に対し、人権救済申立て及び被告会員の懲戒請求をしたにもかかわらず、これにつき被告が適切な対応をせず、そのため、原告が精神的苦痛を蒙ったこと並びに被告会員が原告に対してなした前記懲戒請求の基礎となる不法行為に基づく損害につき被告が使用者責任を負うことを理由に、原告が被告に対して慰謝料を請求した事案である。

二  争いのない事実等

1 原告は、訴外乙山院より、原告占有土地からの立退きを求められていたところ、これに関連して、乙山院及び暴力団関係者らから脅迫や自宅建物の破壊等の被害を受けているとして、昭和六三年一〇月ころ、被告に対し、人権救済の申立てをした。

2 原告は、以下の人権侵害を受け、精神的苦痛を受けた。

昭和六三年一一月二六日ころ、原告は拉致、監禁され、原告所有の家屋、原告が経営する駐輪場及び原告所有の動産等を取り壊されるなどの方法で、原告が右家屋の敷地から立ち退くように脅迫された。

3 原告は、平成元年一月及び二月ころの二度に亘り、被告に対し、右土地の立ち退きに関し、人権侵害を受けたこと等を理由として、人権救済申立てをした。

4 被告は、右申立て及び二1記載の申立てに対して、警告等の処置をしなかった。

5 原告は、平成元年以降、別紙懲戒請求一覧表のとおり、被告に対し、被告会員である弁護士丙川春夫、同丁原夏夫の懲戒請求を申し立てたが、被告は、いずれも懲戒不相当の議決をし、右弁護士らに対し懲戒の措置をとらなかった。

6 被告は、弁護士法三一条により、被告会員である弁護士らに対する指導、監督をする立場にあるものである。

三  被告の主張

被告提出の答弁書中の別添「(被告の主張)」のとおりであるが、その概略は以下のとおりである。

1 懲戒請求について

弁護士法に定められた懲戒請求は、懲戒請求人の私的な利益保護のために認められた制度ではなく、懲戒請求人は、弁護士会による懲戒権の不行使に関して、日本弁護士連合会に異議の申立てができるものの、これに対する右連合会の判断に対しては、不服をもって出訴することができないと解されるから、弁護士会の右懲戒権の不行使につき法律上保護されるべき利益を有するものとはいえない。

よって、原告主張の懲戒請求に対する被告の措置についての不法行為は成立しない。

なお、被告は、原告からされた別紙懲戒請求一覧表の懲戒申立てにつき、これらをそれぞれ被告の綱紀委員会の調査に付したが、右はいずれも懲戒不相当とする旨の議決がなされている。

2 人権救済申立てについて

(一) 被告は、人権擁護について、原告との関係で、私法的救護義務を負う立場にあるものではなく、原告に対して、法律上の作為義務を負うことはない。

(二) 被告は、人権救済に関して、被告会員以外の者に対して効力を及ぼす措置をとる法的権限を有していないから、仮に、被告が警告等の措置をとっていたとしても、原告の損害発生を防止し得たとは限らない。よって、この点からも、被告は原告に対して法律上の作為義務を有しているとは認められない。

また、被告に原告の主張のとおりの不作為があったとしても、右の理由から、右不作為に違法性はなく、かつ、右不作為と原告の損害発生の間には因果関係もない。

第三  争点に対する判断

一  懲戒請求について

原告は、原告の懲戒請求(弁護士法五八条)に対し、被告が適切な措置をとらなかったことにより精神的苦痛を受けたとして、これを慰藉するための賠償を求めるが、同条の懲戒請求権は、弁護士会又は日本弁護士連合会の自主的な判断に基づいて、その会員である弁護士の綱紀、信用、品位等の保持の目的を達成するために、公益的見地から、右各会に特に認められたものであって、懲戒請求者個人の利益保護のためのものではないと解すべきである(最高裁判所昭和四九年一一月八日第二小法廷判決参照)。それゆえ、原告の懲戒請求に対し、被告がした懲戒不相当の措置によって、懲戒請求権者である原告が法的保護に値する具体的利益の侵害を受けたといえないことは明らかである。

よって、原告の懲戒請求に関する損害賠償請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

二  人権救済申立てについて

原告は、また、原告の人権救済申立てに対し、被告が適切な措置をとらなかったことにより精神的苦痛を受けたとして右不作為の不法行為に基づく損害賠償を求めている。

しかし、不作為による不法行為が成立するためには、法律上の作為義務の存在が前提とされるところ、原告がその根拠としているものと解される弁護士の基本的人権擁護義務を定める弁護士法一条の規定もそれがいわゆる精神規定に止まるものであり、弁護士がその義務を遂行するについて自らに課する倫理上の義務に止まるものであって、他人に対して具体的な内容を有する人権擁護の私法的義務を定めたものではないことが明らかであることをも念頭に考察すれば、弁護士の使命及び職務にかんがみ、弁護士の指導、連絡及び監督に関する事務を行うとされている弁護士会(同法三一条)が、その活動として行う人権擁護活動に関連して、会員以外の者に対し、人権擁護の具体的な私法的義務を負うとは到底いえない。

よって、原告の人権救済申立てに関する損害賠償請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

三  使用者責任(民法七一五条)について

原告は、被告の会員である弁護士らが、右弁護士らの事業の執行につき、原告に対し、人権侵害を行ったことから、被告が使用者責任を負うと主張する。

しかし、民法七一五条は、ある事業のために他人を使用する者が、その事業の執行につき第三者に損害を加えた場合の責任を定めた規定であり、ここにいう「事業」は、使用者の行う事業であることが明らかである。

そして、弁護士会に属する個々の弁護士らが行う訴訟活動等の業務は、右各弁護士独自の業務であって、会員弁護士の指導、連絡及び監督に関する事務を行うと定められている弁護士会の事業でないことは明らかである。それゆえ、原告主張の個々の弁護士らの行為が弁護士会の事業の執行として行われたものとは認めることができないことも明らかである。

よって、原告の使用者責任についての主張も、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

四  よって、原告の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 高野芳久 裁判官 平林慶一 裁判官 大石啓子)

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